この時期になると、学生たちが卒業制作の上映などを終え、教える側はほっと一息つくものです。
学生たちの方は、一作入魂で作った作品のお披露目を終えて、脱力している場合もあります。
ただ、多くの場合、作品に映し出された世界が自分自身の鏡となっていることが多く、自分の問題を見事に映し出していることに気づき、内省的になることも多いのです。
作品のテーマや作品のクリエイティブににじむ、自らの幼さや判断の遅さについて、歯を食いしばることもままあります。
もちろん、テーマや作品の中に、自分が気づかなかった長所や個性を発見できる場合もあります。
舞台挨拶での総括に、最も純粋に自身の抱える問題が現れた、などと言うこともありました。
概ね、今の若者は自らの責任における決断の量が少ない半生を送っています。時代が判断を強要せず、若者を受け身にしてしまっています。
でも、映画というものは自分の判断の集積体です。
テーマをどうする、ロケ場所をどこにする、役者は?着せる衣裳は?編集のテンポは?音楽は?と全てを自分の責任で決めなければなりません。
だから、その判断・選択の雨あられに飲まれてしまい、思考停止してしまうようなことも起こります。
でも、判断の集積体としての作品を完成させるところまで行った学生は、上映の後、一種特有の充実感を纏っているように思えます。
自分の未熟さを感じる以上に、自分が全ての責任を持つ作品の誕生が小さな成功体験となって、確実な自信につながっているかのようです。
思えば、私たちの人生は決断の連続です。
決断以外のものは大した仕事はしていない、と言ったら大袈裟でしょうか?
映画作りは転生一回分に相当するのかもしれません。
映画監督を目指す若者が映画作りで一歩一歩大人になるのを見させていただくのは、本当に素晴らしい体験であると感謝する日々です。
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