20歳前後の学生であっても映画塾の塾生であっても、嘘のない名刺がわりの映画を作ろうと指導していく中で、「自分の心が強く動いたこと」を探してもらうことがあります。
それはいわば、心の旅。
映画のテーマを探しにタイムマシンに乗って過去への旅をするようなものです。
そうした際に「親との問題」に行きつく方も少なくありません。
この問題ばかりは古今東西人類全員が思い当たる普遍的な問題です。
先週も親との葛藤を抱える若い学生2名と話す機会がありました。
一人は母親への嫌悪を抱える女性。もう一人は父親との人間関係の不調和に気付いたばかりの男性でした。
この内の女性の方(Mさん)について書こうと思います。Mさんは母親のやること全てが気に障り、その存在自体が耐えられないという方でした。
その生活も勉強も心の中の母への不調和が起点となって、リラックスもできなければ幸福感を感じる余裕もないという状況です。それが昂じて人間そのものが嫌いになり、皆が寝静まった夜中にようやく一息つく、と言う気の毒な方でした。
結果としてMさんは友人に対しても疑心暗鬼となり、友人の失敗を自分のせいだと考え、自己評価を下げ罪の意識に浸っていました。
これら人間関係についての不調和全ては、母親に対する強烈な嫌悪感が起点になっているようです。
・・・どうやらこうした内容は、初めて人に話す内容だったらしく、話すそばから絶えず大粒の涙が流れていました。その時は上級学年の女性が隣に座っていたので、うまくケアしてくれて大変助かったのですが、心の中に解消されない母への不調和が源となって、Mさんを思考停止に陥れている状況は手に取るようにわかりました。
皆様の中で、この話を聞いて、「年齢の若い親子関係は時間が解決する・・・だから放っておいた方が良い」と思われる方も多いかもしれません。
私も時にはそんなふうに楽観視する場合もあります。しかし、この方の場合、嫌悪の感情が激しく、そのまま時間に任せるのが適切であるとは思えませんでした。(実は一つだけMさんに生活の中で母との不調和を解消するための取り組みを提案しました。)
Mさんのような方には、私は映画を作ることを推奨しています。
それは、映画をゼロから発想し、制作中にアイデアを重ね続けることが、圧倒的なエネルギーを生むということについての確信があるからこそ行える提案です。
映画を作ることによって生まれるエネルギーとは、全てを薙ぎ倒すような火砕流や津波のような破壊的なものではありません。
例えるとすれば、地上にいるあなたが不意に巨大な怪鳥に摘み上げられて、山の頂にひょいと連れて来られるようなものです。
つまり、何年経っても大した変化が訪れることのない、いつもの視点から悠々と離脱して、自分の環境や人間関係、自分自身の精神世界を上から眺めることができるような体験です。
・・・高い山から眼下の街を見下すようなイメージをしてみてください。高解像度で見るつもりになったら何でもありありを詳細を見ることができる鳥の目を想定してください。
大袈裟に言いましたが、上のようの意識の変化を「じわっ」と感じるのが映画制作だと思います。
多くの監督は、自分の人生や環境、人間関係を反省し、高い視点からの解決を自然に考えることになっていくようです。
数年前にも親子関係をテーマにした作品の制作をサポートしました。
制作中、監督(20代女性)はかなり無理をして、時には泣きながら考え抜いて作品を作りました。
努力の甲斐あって親子関係を「断絶関係」から「理解し合える関係」に深化させることに成功したケースでした。
・・・この時も娘と母。
監督を務めた女性は母がすでに亡くなってしまった世界を描き、その世界の中で、自分のこれまでの母に対する姿勢を振り返るような作品で、夏の里山のお盆を背景に描かれた美しい小品となりました。
私の考えとして、映画制作がもたらす人間関係の改善について、まとめて説得的に論じるためのデータを十分揃えているとはまだ言えません。しかし、エピソードの一つ一つがかなり劇的なものなので、高い確率で監督者の人生を変えていると思えるため、私の中ではすでにこのことが真理であることは確定事項と言えるでしょう。
映画作りは人間関係の改善に効能があります。
クリエイティブのエネルギーは、視野の劇的変化に伴って、人に対する自分自身の思いを変えたあと、変化した思いの波動は相手にも伝わっていくのだと思います。
・・・話は逸れますが、私が運営している「レイシェル青春映画塾」に「映画セラピー」のコースを新設しました。映画制作を心の再生に利用しようという試みですので、興味を持たれた方はofficial siteを覗いてみてください。・・・
世間では母の日を迎えましたが、特に年齢を重ねると親子関係が固定化され、関係改善なんて発想は浮かばない方も多いかもしれません。
母の日もいつしかルーティーン化して、思いのこもらないものになっていくものなのかもしれません。
特に感謝の対象がすでに亡くなっている場合、何をどう改善しても届かないと思いながら、ひとまず仏壇に花と線香を手向けるだけ、という方も多いでしょう。
そのような方に私は映画制作を本気で勧めます。
(映画が無理ならシナリオでも小説でも詩でも、自分がそれについて数ヶ月考えることができるクリエイティブな作品の制作をお勧めします。)
特にこのままではお互いに和解できない、という焦りのある方には映画は効果があります。
あなたの人生にとっては唐突な提案かもしれませんが、今年の母の日は、母についての物語を構想してみませんか?
母と自分のあの日のストーリー。
あるいは母と自分が共に経験したかったあのストーリー・・・。
素晴らしい物語の先に、今より潤いのある親子関係が待っているかもしれません。
母との関係に悩むMさんについてはこれからもできたら途中経過を報告していこうと思います。
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