top of page
  • reicielstudio

自信なきHSPの人こそ創作に飛び込め

映画を作ってみたいという方の中に、一定の割合で存在するのが神経過敏タイプです。


今はHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれることもあるようですが、傷つきやすく、敗北感を引きずってしまい、相対的価値観に囚われてしてしまう自信のない人々です。

彼らは自分を世界の中心に据えた「図太い」価値観に憧れは持っています。

しかし、そこに自分が至るには人の目が怖すぎるのです。そして更に、自信に満ちた憧れの精神態度に近付こうとしない自分を責めています。


ある方は、自分の価値を確認するために、依存できる人間関係を保険で作ったり、人に自慢できる勉強をしたりして、なんとか存在意義の補填を行なっているように見えます。

・・・何しろ人に自慢できるものだけが自分を守ってくれるというわけです。


傍目から見ると、他人の評価に依存した世界観は痛々しく、不幸です。

なんとかしてあげたいものなのですが、こればかりは自分自身を変えていくしかないのです。


しかし、変えていくと言っても、もうそういう心の傾向性ができてしまっている場合、なかなか自分だけの力で自分の心(この場合は相対的な価値観)を変えることは難しいですので、一体どうしたら良いか、本人も周りも根本的な解決策に逢着できず頭を抱えているのが現実ではないでしょうか?


皆様の周りにもこんな不器用な人、いませんか?

あるいは皆様自身にもこんな不器用な精神性はないでしょうか?


かくいう私も、かつてはそんな傾向があったと白状せねばなりません。

自分の心の豊かさを蔑ろにして、人からの見てくれ、評価を唯一の物差しにして生きていた過去を持ちます。


そんな私が大らかに変わっていくきっかけはいくつかありました。

しかし、その中でも大きなものが創作(映画作り)なのです。


映画を作るということが、すでに他者に見てもらうことを前提にしていますから、相対的な価値観の枠組の中での創作活動と思われるかもしれませんが、実は違います。


映画を作っていく何ヶ月の間、自分が構想した原案を絶えず考え、改良して長い間付き合っていくことになります。その間、自分の生み出したもう一人の自分と寝食を共にするような感じです。


自分が生み出した作品が絶えず自分の心の扉をノックします。

「これが君かい?これで本当に君は納得できるのだね?」。

つまり、作品作りとは自分と対話する時間のことであり、他者の目を意識することが、どこかに消え去ってしまうくらい、絶対的な物差しを育むのです。


もし、自分に自信がなくHSP気味の方が作品に向かうことができたら、他者の目を忘れ、自分に向かい合うことができる時間を手に入れることになるでしょう。


私は長い間、絶えず、映画創作の中にありましたので、次第に自分の心のうちにある喜び、愛、信仰、沸き上がる情熱といったものが、他人からの評価を押し流していってしまったのだと思います。

今や私は、映画作りを始める前よりも圧倒的に幸福です。


自信がなくて傷付きやすい方の中で、映画を撮ることに興味がある方はすでに自分を変える分岐点に立っていると思います。

思い切って踏み出せば自信に満ちた新しい自分に出会えるかもしれない。

でも残念ながら、分岐点に立っている人の中で思い切って自分を変える方向に踏み出す方は少ないのが現実です。

98%の人間は流されて、自分一人では自分を変えることができないものなのです。


しかし、以上述べたように、映画作りを通してもたらされる、神秘的とも言えるクリエイティブの力は、あなたの人生を質的に変える可能性を秘めているということを、確信を持ってあなたに伝えたいと思います。

私も映画塾を通じて、一人ではなかなか自分を変えられない未来の映画監督のお手伝いができたら幸せです。


太陽に照らされた雲と波濤
九十九里の海と空

閲覧数:38回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page