女優さんの映画作り
- reicielstudio
- 10月8日
- 読了時間: 3分
あなたは俳優の監督した映画をどう思いますか?
クエンティン・タランティーノ、ジョン・カサヴェテス、クリント・イーストウッド、アンジェリーナ・ジョリー。
それぞれが、監督と俳優の間で、なんとも言えないバランスをとっています。
タランティーノは(俳優ではないですねこの人。笑)明かな監督側ですし、アンジェリーナは明らかに俳優側、イーストウッドは俳優側から徐々に監督側に長い年月をかけて変異していきました。カサヴェテスはその2軸に関心がなく、芸術というZ軸の穂先から高笑いしている感じでしょうか。

日本の俳優兼監督の仕事(映画)をみると、ホームランか三振か、という印象があります。
・・・ちょっとこれは詳しい例は出しませんが。とにかく私は、俳優さんの作った映画を好んで見ています。
曲がりくねった隘路に迷い込んだような映画もありますが、大抵の場合、演じている本人が、やりたい演技をやりながら、演出の中枢部分を支える役割を演技で行う場合も多く、作品としての透明度が高い気がするからです。
さて、皆様の中に役者さん、あるいは俳優修行をしている人はいますか?
役者さんを目指している人の中には、ほとんど自分でゼロから作品を作るなんてことを考えたこともない人も多いと思います。
つまり、映画を自分を作るなんて、ただの一度も考えたことがない、という人です。
今回、個人セッションを公開することを許可してくれた、役者・戸澤香織さんもそんな一人です。
「今まで、演出が何を求めているかだけを考えてきました」「自分の欲求に対して驚くほど淡白です」ということを彼女は語っていました。
演出側からどう見えるか、観客からどう見えるか、が表現領域の中で肥大化すると、自分が何をしたいか、など考えることは、おこがましく図々しいことと思えてくるのかもしれません。
真面目な女優・戸澤さんにもそんなところがあるような気がします。
・・・確かに演技論の詳しい話の中には、独特の世界観がある気が来ます。
演技指導の先生が繰り出す、私から言わせていただくと意味不明な(!)高度な解説が様々存在するのはもちろん知っています。
だから、演技論を習得していったら、戸澤さんのような悩みは無くなっていくのかもしれません。
戸澤さんは、ある人間関係がきっかけに「演技が面白く無くなってしまった」とおっしゃっていました。
この個人セッションの中でも話していますが、この問題の原因は、演技論という階層よりも奥深い、戸澤さんの自己認識にあるようです。
ご自身が、他者からの評価によって支えられている、相対価値のみを疑いなく信じていらっしゃる部分です。
戸澤さんは今の所、映画を作ろうとして、主人公を自分に近い存在として設定されています。そのお陰で気づかなかった自分の心の傾向性に気づいたようです。その過程が短い動画に示されていますので、ぜひご覧ください↓
・・・今後、自分の映画を作るなんて考えたことは全くない戸澤さんの映画作りの幾つかの場面を、動画にして公開していきます。
今は、自己認識の問題。
そのうち、技術とか行動力とか全く別の問題に波及していくはずですから、一緒に映画を作っている気になって戸澤さんを応援してくれると嬉しいです。
多分、山あり谷ありです。
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